群馬県のお城
金山城
戦国時代、武田氏、上杉氏、北条氏に攻められても撃退し難攻不落を誇ったお城です。
標高235.8mの金山に築かれた自然の地形を利用した山城です。
現在は、本丸跡とされている地点に新田神社があります。
戦国時代の関東のお城には石垣がないとされてきましたが、金山城の発掘調査で石垣の一部が残っており、定説が覆されました。石垣で作られた大手虎口(写真)が圧巻です。関東七名城の一つです。
金山城の詳細
住所 | 群馬県太田市金山町40-106 |
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電話番号 | 0276-20-7090 |
営業時間 | 見学自由 |
料金 | 無料 |
アクセス | 東武伊勢崎線太田駅から徒歩約50分 |
スタンプ設置場所 | 南曲輪休憩所内(中島記念公園)、駐車場から徒歩15分。 街灯がないので、日没時間に注意して下さい。 |
金山城の地図
箕輪城
榛名白川・榛名沼が天然の堀を形成し、お城の面積は、約47ヘクタールにおよぶ広大なものでした。長野氏が築城し、その後4代にわたって長野氏の本拠地でした。この地は相模の北条氏・甲斐の武田氏・越後の上杉氏が侵攻を繰り返すところでした。名君と謳われた長野業正が、武田信玄の侵略がたびたび繰り返されても、退けました。
業正は亡くなる前に、「我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。これこそ孝徳と心得るべし」と言い残します。
その死は秘密にされましたが、業正の死を知った信玄は再び侵攻を開始。業正の子、業盛は自刃して果てます。武田氏の侵攻に、長野氏は最後まで抵抗しました。武田氏に落とされた後は、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と主が変わりました。曲輪馬出が徳川家康の家臣である井伊直正によるものの可能性が高い。
箕輪城の詳細
住所 | 群馬県高崎市箕輪町西明屋 |
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電話番号 | 027-371-5111 |
営業時間 | 見学自由 |
料金 | 無料 |
アクセス | 高崎駅から群馬バス「箕郷行き」で約30分、「箕郷本町」下車 徒歩約20分 |
スタンプ設置場所 | 高崎市箕郷公民館(9:00~17:00、祝日・年末年始休み) 箕輪支所(8:30~17:15) |
箕輪城の地図
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