織田信長の天下布武の出発点、岐阜城

岐阜城について
岐阜県岐阜市の金華山(標高329m)の山頂に築かれた山城で、現在は観光名所としても人気があります。もともとは「稲葉山城」と呼ばれていました。標高329mの山上にあり、防御力が非常に高く、「攻めるのが難しい城」として知られていました。
斎藤氏の居城として
戦国時代初期(戦国時代)、この城は美濃国の戦国大名・斎藤道三の本拠地でした。その後、息子の斎藤義龍、孫の斎藤龍興へと引き継がれます。
織田信長が攻略
1567年、織田信長がこの難攻不落の城を攻略し、「稲葉山城」から岐阜城へと改名しました。由来は中国の古代王朝・周に関係する地名で、「岐山(王朝が興った地)」と「曲阜(思想家 孔子 の故郷)」にちなむとされています。
そこには、「理想の統治者が現れ天下を治める地」という意味が込められていました。信長は岐阜城を拠点に「天下布武」を掲げ、全国統一を目指します。岐阜城は、いわば“天下取りの出発点”となった城です。
天下布武とは、武力によって世の中の秩序を整え、統一を目指すという考えです。当時の日本は各地の大名が争う混乱の時代でしたが、信長は強い軍事力によってこれを終わらせようとしました。信長にとっての「天下」とは、まず政治の中心である京都を含む畿内を押さえることを意味し、そこから全国へと勢力を広げていく構想でした。
また岐阜は、京都に近く上洛しやすい位置にあり、東西交通の要所でもあります。こうした地理的条件も、信長がここを拠点とした理由のひとつでした。

信長期の石垣
山頂に築かれた岐阜城は、地形をそのまま活かして石垣が配置されています。平地の城のように整然とした美しさとは違い、石垣・曲輪・急斜面が組み合わさることで、戦うための城としてのリアルな姿を体感できます。丸みを帯びた大きな石材を使用し、隙間に拳大の「間詰石(まづめいし)」を詰める技術が特徴。

天守台東側に築かれた石垣
信長の時代よりもあとの池田輝政の時期に築かれた可能性がある。

天守からの大パノラマ
岐阜城最大の魅力は、なんといっても山頂からの眺め。岐阜城の天守からは、長良川や岐阜市街地を一望でき、天気が良い日には遠くまで見渡せます。標高329mという高さからの視界は非常に広く、戦国時代には敵の動きもいち早く察知できたと考えられます。
遠くから迫る軍勢による土埃さえも確認できそうで、まさに“見張りの要”として機能していたのでしょう。夕暮れから夜にかけてはロマンチックな景色が広がり、デートや写真スポットとしても人気です。

お城時計(和時計)
岐阜城の入場口付近には、「お城時計」と呼ばれる和時計のモニュメントが設置されています。
現地の案内によると、大名時計・和時計とも呼ばれる日本独自の時計を再現したもので、干支(子・丑・寅など)で時刻を示すのが特徴です。西洋の機械時計は、16世紀にフランシスコ・ザビエルが周防国の大名(大内氏)に献上したものが始まりとされ、当初は壁掛け式で操作も複雑なものでした。
その後、日本の時計技術は独自の発展を遂げ、昼夜の長さに応じて時間が変わる「不定時法」に対応した和時計が作られるようになります。明治5年(1872年)に太陰暦から太陽暦へ改められると、こうした和時計は次第に姿を消していきました。

岐阜城楽市
岐阜城楽市は、岐阜城のふもと・金華山ロープウェー山麓駅周辺に整備された観光エリアで、食事やお土産、休憩が楽しめる“城下町風スポット”です。戦国時代に織田信長が行った「楽市楽座(自由な商いを認めた政策)」にちなんだ名前で、観光のスタート地点としても立ち寄りやすい場所になっています。

金華山ロープウェイ
ぎふ金華山ロープウェーを利用すれば、わずか約3分で山頂付近までアクセス可能。山頂駅から天守までは徒歩10分です。
立ち寄りスポット
岐阜城の詳細
| 所在 | 岐阜県岐阜市天主閣18番地 |
|---|---|
| 電話番号 | 058-263-4853 |
| 営業時間 | 金華山ロープウェイ 営業時間 |
| 料金 | ■ 金華山ロープウェイ 大人(12歳以上)往復1300円、子供(4歳以上12歳未満)650円 ■ 岐阜城入場料 大人(16歳以上)200円、子供(4歳以上16歳未満)100円 |
| アクセス | JR岐阜駅 中央北口バスターミナル《12番》《13番》乗り場から乗車、バス停「岐阜公園・岐阜城」で下車 |
| URL | ぎふ金華山ロープウェー |
岐阜城の地図
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