旧石器時代と縄文時代

日本の考古学は1877年、エドワード・モース博士が汽車で横浜から東京へ向かう途中、車窓から貝殻の層を発見し始まりました。これが、大森貝塚です。この頃、まだ日本に考古学という学問がなかった時代でした。

大森貝塚を発掘すると土器の破片が見つかりました。縄目の文様が付いていたことから「コードマークド・ポータリー(縄文土器)」と名付けられました。そして、同じような土器が日本各地で発見されるようになり、縄文土器が使われていた時代を「縄文時代」と言われるようになりました。そして、日本に人々が住むようになったのは、5000年前の縄文時代からであると信じられてきました。つまり日本には旧石器時代がなかったというのが定説でした。

それは何故か?日本は昔から火山の多い国で、土に含まれる火山灰の種類によって土の年代が分かります。15000年前の日本は火山が活発で、とても人が住めるような環境ではなかったと考えられていました。

それを覆したのが1949年に遺跡の発掘調査が行われた「岩宿遺跡」です。納豆の行商の傍ら発掘をしていた相沢忠弘さんが発見しました。キラリと光る黒曜石で作られた細石器が出土しました。土器を持たず石器を道具にして狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる、縄文時代よりも古い日本が現れました。

旧石器時代(更新世)

縄文時代よりも前の時代。15000年前の日本は氷河期で海面が下降して日本列島はまだ陸続きでした。北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマンゾウやオオツノジカ等が移動してきました。人類も日本へ渡り大型の動物を狩るために、ナイフ型石器や尖頭器を使った槍を作っていました。人々は食料を求めて移動をしていたためテント式の小屋や、洞窟などを住処にしていました。

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    岩宿遺跡

    日本に旧石器時代があった事が証明された遺跡。

    住所 群馬県みどり市笠懸町阿左美1790-1

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    野尻湖遺跡

    ナウマンゾウの化石が出土。

    住所 長野県上水内郡信濃町野尻

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    根堅遺跡

    浜北人(新人)の化石が出土。

    住所 静岡県浜松市浜北区根堅

縄文時代(完新世)

およそ10000年前には地球全体の気候が温暖になり、海面が上昇し日本列島が大陸から切り離されました。そして、現在とほぼ同じ形の日本列島が誕生しました。

狩猟・漁労・採集によって食料を確保していました。温暖化により生きにくくなった大型動物が死滅し、小動物(ニホンシカやイノシシ)が多くなり石器を使った弓矢などが作られました。

漁労では動物の骨で作った釣り針などの骨角器と網を使った漁法も行われていました。また採集した植物を煮たり、食物を貯蔵するための土器が作られました。保存食として、木の実をすりつぶして粉末状にしたものに蜂蜜や水を加えて作った縄文クッキーを作っていたことも分かっています。

身分の差や貧富の差がない時代で、まだ文字がなかった時代のため謎が多いのも特徴です。

縄文土器

日本列島における土器の出現が縄文時代の始まりです。縄目の文様がついていることから、「縄文土器」と名付けられました。草創期~晩期に区分され、国宝の火焔型土器が作られたのは中期になってからです。

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    爪型文土器(草創期)

    人の爪や貝などで模様がついている。

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    火焔型土器(中期)

    国宝。東京国立博物館蔵。

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    顔面把手付深鉢形土器(中期)

    重要文化財。まるで出産シーン。岡谷美術館考古館蔵。

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    神像筒形土器(中期)

    高さ60㎝程ある大きな土器。茅野市尖石縄文考古館蔵。

  • 注口土器

    注口土器(後期)

    液体を入れ、注ぐための管状の注ぎ口を持つ土器。今でいう急須みたいな形をしている。

土偶

発掘される時は大抵がバラバラで謎に包まれていますが、祭祀の時に使われていたと考えられています。土偶をよく見てみると胸の大きさ、お尻の丸み、妊娠線などが土偶に施され、その姿形から女性が身ごもっている姿であると言われています。さらに、当時の服装や髪型、装飾品なども確認することができます。中は空洞であり、火が通りやすくするためとも、子宮を現わしているとも言われています。

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    縄文のビーナス

    国宝。茅野市尖石縄文考古館蔵。

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    縄文の女神

    国宝。山形県立博物館蔵。

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    中空土偶

    国宝。函館市縄文文化交流センター蔵。

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    仮面の女神

    国宝。茅野市尖石縄文考古館蔵。

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    合掌土偶

    国宝。八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館蔵。

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    子宝の女神 ラヴィ

    重要文化財。南アルプス市 ふるさと文化伝承館蔵。

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    ハート型土偶

    重要文化財。東京国立博物館蔵。

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    みみずく土偶

    重要文化財。東京国立博物館蔵。

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    遮光器土偶

    重要文化財。東京国立博物館蔵。

貝塚

食べ物のカスや人骨など、縄文時代の人々にとった不用となったものが廃棄された場所です。土は酸性だが、貝の主成分カルシウムが溶け土壌がアルカリ性となり、普通は残りにくい骨などが現代まで残りました。そのため、縄文時代の人々がどのような生活を営んでいたかが分かる重要な情報源になっています。

一見、ゴミ箱のようだと思いますが、人骨も発掘されていることから、育んだものを大切にする精神を窺い知ることができます。

竪穴住居

建物そのものは見つかっていません。屋根材が残っていたり、柱の穴などから想像で作られています。そのため各地にある竪穴住居は全て復元です。お墓を守るようにして住居が配置された環状集落なども見つかっています。

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    上野原遺跡

    縄文時代早期頃の最も古い定住集落跡。

    住所 鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1-1

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    大湯遺跡

    縄文時代後期の環状集落。

    住所 秋田県鹿角市十和田大湯万座27

縄文時代の道具

  • 丸木舟

    丸木舟

    丸木舟各地で発見されている。遠洋航海術を持ち、黒曜石、サヌカイト、ヒスイ、アスファルトなどの貴重な石が全国各地で見つかり交易が盛んだった事が分かる。陸路だけでなく海路からも運搬され、物々交換をしていた。

  • 石皿やすり石

    石皿とすり石

    ドングリ等の木の実やイモ類などをすりつぶすための道具。磨製石器が使われた。

  • あんぎん編みの道具

    あんぎん編みの道具

    植物の繊維を材料にして洋服や籠などを編んでいた。そしてその材料となる植物を栽培管理していた可能性も分かってきている。

抜歯

成人の儀礼など、人生の節目に行われました。

埋葬

足を曲げて丸くなった状態で埋葬する屈葬でした。

主な縄文時代の遺跡

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    三内丸山遺跡

    大規模な集落跡。

    住所 青森県青森市三内丸山305

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    亀ヶ岡遺跡

    遮光器土偶が出土した遺跡。

    住所 青森県つがる市木造亀ケ岡

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    菜畑遺跡

    日本最古の稲作遺跡。

    住所 佐賀県唐津市菜畑字松円寺3355-1

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    板付遺跡

    縄文時代晩期から弥生時代後期の遺跡。

    住所 福岡県福岡市博多区板付3-21-1

考古学の様々な角度からの研究

ミトコンドリアのDNA

ミイラや化石の中にもDNAが残っている程、DNAは丈夫です。骨や歯から採取するミトコンドリアのDNAを調べることで、ルーツや人類の進化が分かります。世界中の人はアフリカから出て広がっていった子孫であるということと、ネアンデルタール人のDNAを1%~4%引き継いでいる事が分かっています。

C14 放射性炭素年代測定器

土器の年代を調べられるもの。縄文土器が人類最古のものだといわれている。人間の骨は亡くなるまでの10年間で食べた物でできているので、骨から何を食べていたかが分かる。さらにC14という炭素でいつ死んだかまで分かります。

圧痕レプリカ法

石器や土器などの植物圧痕をシリコーン樹脂を用いたレプリカを作り電子顕微鏡で観察することで、どんな植物を使っていたかが分かる。これによって縄文時代に編み籠が作られていた事も分かっています。

残留脂肪酸分析法

遺物に付着残存している古代の脂質を分析することで、古代人の食や生活状況を推理しようとする方法。この方法でトイレの跡が発見され、男子と女子分かれていたり、男女混合だったという事も分かっています。

縄文をテーマにしたホテル

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    古代生活体験村

    古代ロマンが体験できる宿泊施設。竪穴式住居に泊まれ、火おこしして自炊などができます。

    詳細はこちら

縄文グッズ

縄文時代の参考にした本