白虎隊終焉の地、飯盛山
飯盛山について
戊辰戦争時、会津の本陣となり藩主松平容保公が白虎隊士に戸の口原への出陣を命じました。 白虎隊は15歳~17歳の少年で編成され、そのうち士中二番隊は会津日新館に学ぶエリート隊でした。
戸の口原の戦いで敗走した白虎隊は、飯盛山から眺めた鶴ヶ城が炎に包まれるのを見て、もはやこれまで…といち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。20人のうち1人蘇生された飯沼少年を除き自刃を遂げました。生き残った飯沼少年は生き残ったことを責め、会津を離れ二度と会津に戻ることはありませんでした。彼が、戊辰戦争、白虎隊のことを語った為、後世に歴史が残りました。
明治政府は自刃した隊士たちの埋葬を許しませんでした。遺体は風雨に晒され、動物に食べられ、衣類は盗賊に盗られ、この子らの親だとしたら、こんな悲しい事はありませんが、会津は戊辰戦争で幕府側についたので、明治政府にしてみれば朝敵となってしまったのです。
タクシーの運転手さんが、会津で山口県出身(明治政府には山口県出身が多くいた)の人と分かった瞬間に、その人は仲間外れにされたというエピソードを話してくれました。「そんな昔のことなのにですか?」と驚いたところ、「私のおじいさんのお父さん(ひぃ爺さん)の世代の人たちの出来事ですよ」と仰っていました。それは当事者である土地の人ではないと分からない感情で、衝撃を受けました。
スロープコンベア
山頂までの石段は183段。飯盛分飯盛山へはスロープコンベアがあり、料金を支払えば楽に登れます。
戸ノ口堰洞穴
戸ノ口原の戦いで敗れた白虎隊士20名は、長さ150mのこの洞穴を潜り飯盛山へと至りました。季節は10月、冷たい水が流れる中進んでいきました。
飯盛山からみた会津若松城
白虎隊は飯盛山から、会津若松城を見て"城が燃えている"と絶望して自刃を遂げたとされています。実際に見てみました。写真に写っている赤と白のポールの位置にあるのが会津若松城です。
飯盛山の詳細
住所 | 福島県会津若松市一箕町大字八幡大和山乙 |
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電話番号 | 0242-22-9586(飯盛山スロープコンベア) |
営業時間 | 【スロープコンベア】3月21日~11月20日 / 8:00~17:00、11月21日~3月20日 / 9:00~16:00 |
料金 | スロープコンベア:大人250円、子供150円 |
アクセス | 周遊バス「ハイカラさん」飯森山下下車 徒歩3分 |
飯盛山の地図