1854年、日本が開国してまもない頃、航路標識などの整備が行われてなく、日本近海は「ダークシー」と呼ばれるほど恐れられていました。 1866年5月に結ばれた外国との条約で、灯台を整備することが定められました。設計・建設にはお雇い外国人のリチャード・ヘンリー・ブラントン(日本の灯台の父)等が携わりました。