佐賀県の百名城
吉野ヶ里遺跡
弥生時代の遺跡の中で最大の遺跡で、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。
工業団地が建つ予定でしたが、文化財発掘のため調査をしたところ、59haもの広範囲に遺跡が広がっていることが判明しました。
多数の遺体がまとまって埋葬された甕棺、石棺、土坑墓は、住民や兵士などの一般の人の共同墓地や、祭祀が行われる主祭殿、東祭殿、斎堂や、食料を保管する高床倉庫、貯蔵穴、土坑、青銅器製造の跡なども発掘されました。
吉野ヶ里遺跡の詳細
住所 | 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843 |
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電話番号 | 0952-55-9333 |
料金 | 大人(15歳以上)460円、シルバー(65歳以上)200円、中学生以下無料 |
営業時間 | 4月1日~5月31日 / 9:00~17:00 6月1日~8月31日 / 9:00~18:00 9月1日~3月31日 / 9:00~17:00 |
休業日 | 12月31日、1月の第3月曜日とその翌日 |
アクセス | JR吉野ヶ里公園駅徒歩12分 |
吉野ヶ里遺跡の地図
佐賀城
1611年に完成した平地に築かれた平城です。度重なる火災で焼失・再建を繰り返しました。
1874年(明治7年)江藤新平の起こした「佐賀の役」により、一部の建物が破壊されました。門や扉には、佐賀の役のついた弾痕が残り、当時の戦いの凄まじさを感じさせます。
現在は、本丸の門である鯱の門と続き櫓(重要文化財)、と石垣を残すのみとなっています。
復元された本丸御澱
2004年に幕末期の佐賀城本丸御澱の一部を忠実に復元し建てられました。木造復元建築物としては日本最大規模を誇ります。
幕末の城主
佐賀城の詳細
住所 | 佐賀県佐賀市城内2-18-1 |
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電話番号 | 0952-41-7550 |
営業時間 | 9:30~18:00 |
休業日 | 12月29日~1月1日 ※臨時休館日あり |
料金 | 無料(募金箱設置) |
アクセス | JR佐賀駅バスセンターから博物館前バス停下車すぐ |
佐賀城の地図
名護屋城
豊臣秀吉が文禄の役をはじめる前に築かせたお城です。五重天守や御殿が建てられ、周囲約3キロメートル内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれました。城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄しました。
秀吉の死後、大陸侵攻が中止されたために城は廃城となり、寺沢広高によって唐津城で解体資材が使用されたといわれています。
名護屋城址跡
訪問した時は風の強い日でした。柵がなく開放的な広場があり、ビュンビュン風に襲われ怖かったです。
名護屋城の詳細
住所 | 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3 |
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電話番号 | 0955-82-4905 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休業日 | 月曜日、年末年始(12月29日~1月3日) |
料金 | 無料 |
アクセス | 筑肥線「西唐津駅」から直通バス「名護屋城博物館入口」が出ています |
名護屋城の地図
唐津城
豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高(初代唐津藩藩主)が1602年より7年の歳月を経て完成しました。築城には、九州諸大名の加勢を受け、名護屋城の解体資材を用いたといわれています。
関ケ原の戦いで徳川方として戦い、その功績で12万3千石の大名となりました。領内を自ら見て回り、治水事業や新田開発に力を注ぎました。海岸沿いに黒松(虹の松原)、唐津焼の陶工の保護や和紙の原料の楮の植栽奨励など産業の充実も図りました。1616年に行った大規模な検地により増税し、民衆の不満が募っていきました。
別名「舞鶴城」ともいわれ、桜や藤の名所としても親しまれていいます。エレベーターで天守閣まで行けるので、ベビーカーのお子様連れでも楽しめます。
唐津城の詳細
住所 | 佐賀県唐津市東城内8-1 |
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電話番号 | 0955-72-5697 |
営業時間 | 9:00~17:00(入館は午後4時40分まで) |
休業日 | 12月29日~31日 |
料金 | 【天守閣観覧料】大人500円、小中学生250円 【舞鶴公園エレベーター利用料(片道)】大人100円、小中学生50円 |
アクセス | JR唐津駅より20分 |
唐津城の地図
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