渋沢栄一の学問の師、尾形惇忠生家
尾形惇忠生家について
渋沢栄一は、少年時代に従兄の尾形淳忠から論語をはじめ多くの学問を教わりました。渋沢栄一の人生に大きな影響を与えました。建物は江戸時代後期に淳忠の曽祖父・磯五郎が建てたものといわれています。
2階は非公開ですが、渋沢栄一や喜作らと尊王攘夷を唱え、高崎城を焼き討ちし乗っ取りの密議を交わしたと伝わる部屋があります。
明治時代を迎えると、富岡製糸場初代館長となり日本の近代化に貢献しました。娘の尾高ゆうは、14歳で日本初の製糸場の工女となりました。
出藍精舎
床の間に飾られている「出藍精舎」の文字は渋沢栄一直筆だそうです。「出藍」とは、「藍で染めたものは藍よりも青い」ことから、「師匠よりも優れた弟子が生まれた修業の場」を意味する惇忠の言葉です。
煉瓦倉庫
内庭には、煉瓦倉庫があります。「上敷免製」と刻印されている煉瓦が残されています。日本煉瓦製造株式会社製の煉瓦で建てられた可能性があります。
尾形惇忠生家の詳細
所在 | 埼玉県深谷市下手計236 |
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電話番号 | 048-587-1100(渋沢栄一記念館) |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休業日 | 年末年始 (12月29日~1月3日) |
料金 | 無料 |
アクセス | JR深谷駅からタクシーで約15分 |
尾形惇忠生家の地図