別名「烏城(うじょう)」と呼ばれる岡山城
岡山城について
天下人となった豊臣秀吉の指導を受けて宇喜多秀家が8年の歳月を費やして慶長2年(1597)に築城しました。天守閣の壁に黒漆塗りの下見板は外観が黒く、「烏城」とも呼ばれています。
宇喜多秀家はこの城を戦の施設としてだけでなく、領国内の商人や職人を集めて治世の府とし、城下町の整備を行いました。しかし、関ヶ原合戦で敗軍の将となった秀家は、流刑で八丈島へ流されます。そして、岡山城主よりも長い期間の余生を過ごしました。
宇喜多秀家に代わって城主となった小早川秀秋は、城下町の拡大を行いました。この外堀工事に農民だけでなく武士も使役し20日で完成したため、「二十日堀」と呼ばれています。小早川秀秋は20歳で亡くなったため、嗣子がなく小早川家は断絶しました。
幕藩体制の下で岡山城は岡山藩の城府となり、池田家を藩主として明治維新に至りました。また藩政が安定期に入った17世紀末には、藩主が憩と趣を楽しむ庭として広大な「後楽園」が作られました。後楽園は三大名園(兼六園・偕楽園・後楽園)の一つになっています。
岡山城 月見櫓
岡山城で唯一現存している月見櫓。国の重要文化財です。第4代城主の池田忠雄が藩主のとき、1620年代に建てられました。防御施設として作られていますが、雨戸が付いていて日常の生活仕様ともなっています。
天守閣から見た後楽園
岡山城の詳細
住所 | 岡山県岡山市北区丸の内2-3-1 |
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電話番号 | 086-225-2096 |
開館時間 | 9:00~17:30(入館は17:00まで) |
休館日 | 12月29日~31日 |
料金 | 大人(15歳以上)400円、小中学生100円、未就学児無料 岡山城・後楽園 / 大人580円 |
アクセス | JR岡山駅から徒歩25分 |
岡山城へのアクセス